容姿差別とルッキズムからは距離を置こう!マウンティング地獄もほらそこに。

こんにちは!noikaです。

容姿至上主義、ルッキズムに振り回されて
しんどかった時期が過去にありました。
今振り返っても本当にしんどかった。
容姿差別してくるような輩(←あえて言う)に
気を使ってしまって、エネルギーや時間を
浪費してしまって勿体なかったなぁと
思うこともしばしばあります。

当時は自力で解決できる状態ではありませんでした。
この頃は、自力で浮上出来る状態ではなかったので
そのこと自体は後悔はしていません。
後悔しようにも本当に何もなさ過ぎて
ダークマターを抱えている状態。まさに虚無なり。

ですが、この年になって思うに…
やはり出来るだけ早く
容姿至上主義とルッキズムからは
離れるにこしたことはない。

時間は有限。大げさでなく命そのものなのです。

特に現在進行形で悩んでいる方がいましたら、
私のことを反面教師にして欲しい。
後述しますが、くだらない人たち(←あえて言う)に
振り回されるのは本当にもったいない!
そんな思いで今回のブログを書きました。

ゴミみたいな暗黒時代だった学生の頃


<ブスは辛いよ@学生時代>
昔あった嫌な思い出ををふっと思い出す。
そしてドヨ~ンとしてしまう。
そんな経験はありませんか?

ふと学生時代のことを思い返して
ちょっとだけせつなくなりました。

いきなりですが、私はゴミみたいな暗黒の大学時代を過ごしました。
渦中にいる時は台風の目にいるような状態。
今だからこそ客観的に見れる、というのは差し引いても、
当時は勿体ない時間の過ごし方をしてしまっていました。

この頃は…

【ルッキズム】
【容姿至上主義】
に振り回されて、ただただしんどかった。



「女は楽でいいよな~」なんて意見もたまに聞きますが、
それは容姿に恵まれた若くて自分に自信がある女の子の話だと思う。
少なくとも私には、
「若くて可愛いから得した時期」なんてものは無かったぞ!

大学に入学したばかりのことの話。
容姿が良い女子と比べられて、
すごく傷ついた思い出があります。

それも何回も。
自分が透明人間になったのでないかと思ったこともあるし、
女芸人かピエロにならないといけないのか?と、
イジリを受け入れないといけない場面にも何度か出くわした。

もし、たった1回だけだったら、
「こういうこともあるのかもな笑」と
自分で自分を慰め、自力で浮上できたかもしれません。
ですが、このころ自己肯定感が地面を這いつくばっている状態でしたし、
悲しみとか苛立ちを上手に表現できなかったので
被害者モード全開で、今後の人生のことまで含めて
軽く絶望した記憶があります。

「楽しいはずの時期がこんな辛いなんて…。
社会人になってからはもっと辛くなる聞くけれど、
今がこんなに辛いんだったら、将来はどれだけ大変なの?」と。

【学生時代は人生で最高に輝く時期!めっちゃ楽しい!】
でなければならないと思い込みあったのです。


楽しいはずの時期に楽しめないどころか
人生絶望モードに入った自分を責めてしまって、
余計に辛くなってしまった記憶があります。
本当に悔しかったし、なにより将来が不安で仕方なかった。

当時は思いっきり
【他人からの評価=自分の価値】
という、超他人軸で生きていたので、
嫌なことがあっても被害者モードに入ってしまって
自力で解決することが出来ませんでしたね。

これだけが決定的な原因ではないのですが、
しばらく大学に行けなくなってしまいました。
ちなみに1年生の時に取った単位は4単位…。
※卒業するにあたって、私が通っていた大学では
 合計124単位を取らないといけませんでした。
4年生の時は就職活動もあったので、
卒業出来るのか何度もヒヤヒヤする思いをしました。
この記事を読んでいる方には
私のように必要以上にネガティブになり
時間を無駄にして、ヒヤヒヤする思いをしないで欲しいのです。


自己肯定感や自尊心がそれなりに
備わっているひとであれば…

「さっさとアルバイトをしてお金を貯めて
将来に役立つ資格でも取ろう!」

「そんな人たちのことは気にしないで、
一緒にいて楽しいと思える人たちがいる環境を探そう!
学校が全てではない!」

と思えることでしょう。

私も、今ならそのように思うことが出来ます。

が!

自己肯定感や自尊心が低すぎると、
表だって容姿に点数をつけるような
心ないマウンティング気質な人たちに
打ちのめされてしまうんですよね。
行動する気なんてとても起きませんよね。
本当~にその気持ちわかる!わかりますよ!

差別される側が罪悪感を感じるようにされてしまう



また、容姿至上主義やルッキズムの辛いところとして、
点数をつけられる側が
なぜか罪悪感を感じさせられるところもあるように思います。


モデルや女優のように美を売り物にしている場合は分かるんですよ。
比較されたり点数をつけられてしまうことに。
 もちろん限度はありますが。


ですが、なぜかそこら辺を歩いている一般人であっても、
容姿や年齢がまるで商品かのように扱われてしまうのですよね。 
「あいつ〇点vvv」とか平気で点数が付けられる。
「あいつブスvvv」とか笑われる。


「自分から望んでいったわけではないのに!
なんで?な~んで?
点数をつけられたり、評価される”舞台”に
引きずりだされないといけないのか?」

理不尽だなぁと落ち込んで記憶があります。

さらに、個人的にしんどかったのは
一部の女子の成功体験。

「ブス扱いされていたけれど、容姿を磨いて
バカにされる立場からチヤホヤされる側に回った!」

みたいな、元ブス女子の成功体験(?)を
見かけることがあったのですが、
当時の私にはなんにも響かなかった。
女性全員がメイクやファッションに
すごく興味があるわけではないと思うのですよ。
そういうタイプ人からすると
なぜ自分を粗末に扱ってくる人たちを見返すために
努力しないといけないか?と当時は疑問で一杯だったもので。


そういう体験談よりも…
容姿至上主義による差別は根絶できない
残念だけれど、これは現実。
そういう人たちとどう付き合うか?

という対処療法的なことでなく

そういう人・環境から離れることのほうが大事!
ということを知りたかった!


20代前半のころは、
性善説や学校教育(みんな仲良くしましょう!的な)
が身に沁みついていたので、
人を嫌う、苦手に思うこと、嫌な場所や環境から
離れることに罪悪感があったのですね。
それが余計にこじらせてしまっていたように思います。

話の切り口を少し変えます。
これがもし学歴による差別だったら、
差別する側を制止する雰囲気があると思うんですよね。

もし一流大学の学生(だった人含む)が

・自分の大学よりも偏差値の低い大学に通っている人
・大卒でない人
を表立って見下すような発言をしたり、バカにしたり、
点数をつけるようなことがあったら…
その一流大学生のほうが非難されることでしょう。

「え!?それって人としてどうなのかな?」と。

ですが、なぜでしょうか?
容姿差別や容姿至上主義は
する側が正義みたいなノリが一部にあるように思うんです。

される側が悪い。

上手く切り返せないノリの悪いブスwみたいな。

ブスや不細工は点数をつけられたり
バカにされても仕方ない。
いじられてもニコニコ笑って我慢しろ的な。

将来もこういうノリがずっと続くのかな?
当時の状況のみならず、
未来に対してもうんざりしてしまいましたね。

ルッキズムの呪いから解き放ってあげよう!

特に若いお嬢さんが方に伝えたいのですが、
できるだけ早くルッキズムの呪いから、
自分自身で解き放ってあげて欲しいのです!

私は残念ながら、当時は自力で浮上することが
出来ませんでした。
若いころの貴重な時を、どうでもいい人達(←あえて言う)
の価値観に振り回されてしまって
無駄に過ごしてしまったな~と。
本当にもったいなかったことをしたな、と思います。
無駄に当時の状況に絶望して、
必要以上に将来を憂いてしまって、
何もしなくなってしまって、
本当に貴重な時間を無駄にしてしまった。

残念ながら、これからも先も
容姿至上主義・ルッキズムの人と
出くわす時はくるでしょう。


そんな時は「悪霊退散!!」と心の中で叫んで
物理的に距離を置けるなら距離を置いて欲しい。
すぐに物理的に距離をおけない場合は、
心のシャッターをバシャッと引き下ろして欲しいのです。
すぐに行動を移せない時でも
気持ちを強く持つこと大切でございます!



物理的に距離をおけない時でもピエロにはならないで!


いじりを受け入れない
自分が自分の最大の味方になる

上で書いた通り、そういう人たちがいるところから
物理的に距離を置くのが好ましいのですが、
すぐに離れられないことがあります。

心のシャッターをバシャッと閉じていても、
「オープン・ザ・シャッター!いじりを受け入れろ!」
と、むりやりこじ開けられそうになることがあるでしょう。
抗議しようにしても

「本気になるなよv」
「空気読めよv」
「こえーvこれだから女はすぐヒステリーを起こすvvv」
等々、
抗議するほうが悪者されてしまうことも…。

そういう時は、どうしても
「雰囲気を壊してはいけない」
「ここでニコニコ我慢してやりすごそう」
と思ってしまうかと思います。
立場が弱いと、生き残るためにニコニコして
やり過ごさないといけないことはあるかもしれません。

ですが
「いっそブスキャラを炸裂させてピエロになってしまおう」
と、積極的にいじりを受け入れないで欲しい。

それ、本当に必要ですか?

いじりを受け入れて、やけくそ自虐モードを炸裂させて
ピエロにはならないで欲しいのです。
一旦ピエロになってしまうと、その場所では
ピエロキャラとして生きていくことになってしまいます。

抗議するのは難しい。
すぐにその場所から離れるのは難しい場合…。

そのような場合でも、
可能な限り関わらないようにする等々の
対処法はあるはずです。

容姿差別を受けた時に感じた
悲しい、悔しい、辛いという気持ちに蓋をしないで欲しい。

「自分はこういうことをする人と付き合っていきたいのか?」
「このコミュニティにいたいか?」

雰囲気に飲まれそうになっても、しっかりと自分に問いかけてください。 

それと、もう一つ付け加えることとして…
ルッキズムとマウンティングって仲良しなんですよ。
怖くないですか!?

ルッキズムと仲良し♪マウンティング山でのマウンティング合戦!「悪霊退散!」とすぐ距離を置くこと


ルッキズムとマウンティングって距離が近いんですよ。
気づくとほら、マウンティング山はすぐそこに。
そこでは夜な夜なマウンティング合戦が繰り広げられています。
仮にルッキズム信者に気に入られて、
表面的には上手く付き合えたとしても、
今度はマウンティング山のボス猿達が待ち構えているのですよ。

「夫がハイスペックなの」
「子供が有名な学校に通っているの」
「知り合いの知り合いの兄弟の嫁さんが有名人なの」
「海外旅行に毎年行っている。エコノミーなんてせまくて乗れないわん」

等々。

人生は1回なのです。
そういう不毛な場所に足を踏み入れて
マウンでティングな合戦に参加をして
心をすり減らしたいですか?
そういう場所で、優しい人や誠実な人と
心が温まる人間関係を築くことはできるのでしょうか。

というわけで、
物理的に距離を置けるならば、迷いなくスパッと距離を置く
もしすぐには難しい場合でも、
「距離を置く!クワバラクワバラ!悪霊退散!!」と
心の中で唱えて、距離を置けるように気持ちだけは
強く持つようにしましょう。

「気持ちを強く持つだけで何が変わるんだよ!」
って突っ込みたい方もいらっしゃると思いますが、
辛いことに巻き込まれている時に、

ただただ「あー辛い。あー悲しい。」と
感情に飲み込まれて支配されているか。

悲しみや辛さを分かった上で、
自分が今後どう在りたいかを強く意識する。


この2つの差は大分違うのです。
繰り返しになりますが、
気持ちを強く持つことは本当に大事ですよ!

離れることに罪悪感を感じたら



そういう心地よくない場所からは
離れるようにしましょう!というお話をしてきました。

これだけ言えば分かってもらえるかと思います

が!

それでも!

どうしても!

「これって逃げることにならないかな?」と
その場所から離れることに罪悪感を
どうしても感じてしまう方もいるでしょう。

もし離れることに罪悪感を感じる場合、
自分の過去を振り返って欲しいのですが、
永遠に続く状態ってありましたか?


幼稚園に保育園
小中学校
高校や専門学校
大学
学校以外の習い事や学習塾に人間関係

それが楽しいの時であっても
辛いものであっても。

強制終了か卒業かは分かりませんが
いつかは必ず終わりがくるものです。
出会いあれば別れありとはよくいったもの。

だからこそ、もう一度

本当にそこは我慢してまでいないといけない場所なのか?
そこにいると、そういう人たちと上手く付き合うと

明るい未来が待っていますか?
そういう人たちと付き合っていきたいのですか?

落ち着ける場所で自分に聞いてみてください。

「嫌だわ!卒業しまーす!」
そう思えたなら卒業してしまいましょう!

人生有限なんでいつ死ぬか分からない。
容姿差別をするような人たちに
合わせている時間はもったいないですよ。

noika