はじめに
以前にも挨拶のことをブログに書きました。
前回の記事はこちらからどうぞ→★前回の記事
前回の記事を書いた時は
賃貸マンションに住んでいました。
その後、一軒家が集まる地域に引っ越してたのですが、
ここで「心の地雷」の正体を発見!
今回は前回の記事の補足的なものをお届けします。
人から見れば
「そこまで気にしないでも…」と
思われるのだろうけれど、
本人はこだわってしまって辛い。
そんな風に誰にでも「地雷ポイント」って
あるのでないかと思うのです。
私の場合、それが「あいさつ」なわけですが、
似た悩みを持つ方は少なくないのでは、と思うのです。
・心に地雷があることに気づくと楽になれること
・挨拶をしないで良い、という選択肢を持って良い
・それでも挨拶をしないといけない時は、
相手の反応を意識しないで済む挨拶の仕方
前回の記事の補足記事としてお届けします。
「心の地雷スイッチ」再起動ON!
今住んでいる地域ですが、
一軒家を購入したご家庭が多いらしく
こちらが挨拶をしてガン無視されることは
ほぼありません。
そりゃご近所トラブル起こしたくありませんものね。
挨拶ぐらいはして損はないよねってことで、
無視するよりも挨拶を返すことを選ぶ方が
多いのだと思います。
そんなわけで、
今のところに引っ越しをしてきてからは
「挨拶するのが普通だと気持ち良いよね~。」
とホッとしたものでした。
ですが!
人間って贅沢な生き物ですね。
慣れるってある意味怖い。
慣れてきたら、見える景色が違ってきてしまったのです。
・こちらから挨拶された時だけ挨拶を返す人
・会釈だけする人
・一応挨拶するけれど「…っす」みたいな
ぞんざいな挨拶をする人
上記のような人達が気になるように
なってしまったのです。
段々と気になるようになってきたある日のこと。
とどめを刺されるような事が起こりました。
お隣にAさん一家(仮名)という
子育て世帯の方が住んでいます。
そこのお家の奥さんですが、こちらが挨拶したら
会釈はしてくれていたのです。
今は時期が時期だし、声を出したくないのかもしれない。
無視されないだけ良いか、と思っていたのです。
用事があって外出したとある日のことです。
たまたま、Aさん家に渡す回覧板がありまして。
外出がてらポストに入れておこうと
いそいそと出かけました。
Aさんの家の前にて。
偶然にも買い物帰りで
子どもを連れた奥さんと出会いました。
いつも通り、こちらからは挨拶。
でも、Aさん向こうは会釈だけ。
ここまではいつも通りです。
挨拶した後に回覧板があることを伝えて
手渡ししたんですよ。
そしたら、こちらの顔も見ないで
かったるそうな態度で無言で受け取ったんです。
「え!」と心の中でショックを受ける私。
ショックを受けてしまったのですが、
普段は挨拶以外は全く交流してないし…。
急に挨拶以外のことで話しかけられて、
ビックリしてしまったのかもな。
と気を取り直すことにしました。
夜になってイライラし始める
日中にそんなことがあった夜のこと。
すんご~くモヤモヤすることが起こりました。
場面が変わり、その日の夜のことです。
私が住んでいる家の周りには、
Aさん一家も含めて、子育て世帯の
お家が何軒かあります。
同じ学校に通っているのもあってか
子どもたち同士も仲が良い様子。
親同士も交流があるようで、
朝晩問わず、楽しそうに話しているのが
時々聞こえてきてたんですね。
一軒家が密集しているような地域なので、
この夜までは特に気にならなかったのです。
この日の夜までは…。
窓を閉めているのに関わらず
子どもたちとママさん達の
はしゃぎ声が聞こえてきました。
具体的に何をしているのかは
分からないのですが、
Aさん一家とご近所のファミリーさんとで
なにやら大騒ぎを始めたんですよ。
お友達と会えて子供たちは大はしゃぎ。
Aさん&ご近所のママさん達も
すごく楽しそうに”挨拶”をしてから
歓談を始めました。
「わ~!!こんばんは~~!!キャー!」みたいな笑
そしたら、今までは全く気にならなかった
子どもたちのはしゃぐ声
ママさん達のキャピキャピした談笑の声
こういったものを「うるさい!」と
思うようになってしまったのです…。
「夜だから静かにしたいのにうるさいな~。
早く終わらないかな~。
花火の季節でもないのに何やってんだ?」
ってな感じで。
日中のことが思い出されます。
私にはぞんざいな感じで、
仕方なくって風で会釈だけをして。
あげくに回覧板は顔もろくに見ないで無言で受け取る。
仲が良いママ友にはちゃんと挨拶するのか~と。
たかが挨拶。されど挨拶。
良くも悪くも変化が激しい時代。
先の記事でも書きましたが、
・なぜ挨拶するか
・どこまで挨拶するか
人によって違うのでしょう。
挨拶にここまでこだわるのは
自分でも異常だなと思うし、
なによりしんどい。
心が穏やかな状態が続いていたのですが、
久しぶりにけっこう揺れ動くことになりました。
ドンブラコドンブラコ。
なぜここまで執着してしまうのか?
これはしんどい。
気にしないようになりたい。
前置きが長くなったのですが
私と同じように、人から見れば
「そこまで気にしないでも…」と
思われることだろうけど、
本人としてはこだわってしまって
しんどいのじゃ~~!
そんな方達が少しでも心が楽になったら良いなと思い
補足記事を書きます。
挨拶が心の地雷となっていることに気づく
お悩み相談系のラジオを聞いていた時のこと。
職場の人に関する悩みが寄せられました。
”職場で仕事をさぼる人がいる
自分の担当業務と関係しないため被害はないが、
同じ部署のためさぼっている様子が目に入る。
どうしてもイライラしてしまう。
職場にはいろいろな人がいるので、
「人は人」と気にしないようにしたいのだが
どうしても気になってしまう。”
…というお悩みでした。
それを聞きまして2つのことが思い浮かびました。
「わかる!!」と共感するのと同時に、
「よく聞く悩みだと思うけれど、
私はさぼる人、あまり気にならないんだよな。
最終的に損するのは本人だし。
職場にはいろんな人が集まっているから、
自分に集中するしかないよな~。」
と。
特に2つ目の”あまり気にならない”がポイント。
挨拶(をろくに)しない人に対して、
同じように”あまり気にならなくなったら”
最高じゃない!?
というわけで、しばらく
う~んう~んと考えてみたんです。
この2つの違いってなんだろう?
①挨拶を無視。もしくはぞんざいにする人に
自分でもアタオカだと思うほどイライラしてしまう自分
②職場でさぼる人ついては
会社にはいろんな人がいるからね~。
仕方ないよ。自分に集中したほうが良いよ。
無駄にエネルギー使うのもったいないぜ!と割り切れる自分
そこで気づきました。
①と②の大きな違い。
それは…
・自主的にやっているか/やっていないか
・好きか/そうでないか
でした。
先に②から説明します。
基本的に「働くこと自体」は
好きなほうです。
(もちろん個別の仕事に対しての好き嫌い、
人間関係におけるストレスはありますが…。)
学校を卒業して社会人になるまでは、
暗黒の中にいるようで苦しくて仕方なかった。
社会人になってから、ストレスはもちろんありますが
お金を稼げるようになって、
少しずつだけれど自分の人生を
良くしていけることに対しては
感謝&ありがたく思っています。
そんなわけで、職場でさぼる人を見ても、
被害を受けていない場合は
「もったいな~。」と思うだけなのです。
それに対して①については、
心に地雷があることに気づきました。
職場やご近所する
「別にしたくないんだけれど、しないといけないからする…。」
そんな感じの義務でする挨拶については
本当は嫌で嫌で仕方なかったんです。
義務感から行う挨拶、本当はやりたくなかったんですわ。
元々、あまり知らない人とは
積極的にコミュニケーションを
取りたいタイプでありません。
本当は別に挨拶したくないけれど、
挨拶することは常識。
人として行う基本のものだから
嫌でも頑張らないといけない!
そんな風に思っていたのです。
だからこそ!
そこを飛び越えて自由でいる人を
見るとイライラしてしまっていた。
私は苦手なことを意識してやっているのに!
別にあなたと仲良くしたいとか
そんなこと思っていない!
ただ、しないといけないからしてるだけ!
私が我慢してやっているのに
なぜあなたは挨拶を返すぐらいのことをしない!?
たかが数秒で済む話でしょ!
…と。
心の地雷はこれだったのか!
ストンと腑に落ちた感じがしたのです。
今の家に引っ越しをしてきてから、
また「挨拶しないといけない!」と
と自分で自分を縛り付けている。
時代は変わり、挨拶の意味も変わってきているはずです。
自分さ~、相手に期待して、
価値観を押し付けていることを自覚しようよ。
なんだか恥ずかしさも込み上げてきた。
というわけで、こんなこだわってしまって
相手に期待したり価値観を押し付けて苦しくなるなら
無理に自分から挨拶しないで良いのでは?と思い、
再び辞めてみることにしました。
・挨拶されたらする。
・挨拶しないと気まずい感じの時は
ペコっと軽~く会釈。
感じ悪い人に思われるかもしれないけれど、
それでも良いじゃない。
辞めれる環境だったら、一旦良い人やめてみようよ。
ぞんざいな挨拶を返してくる相手に対して
必要以上にエネルギーを使わないでいいよ、と。
それに、あまり知らない人から
挨拶されるのがうっとおしいと考える人もいるわけだし。
と同時に。
いや~、やっぱり防犯効果もあるらしいし、
挨拶が全くない状態というのは
どうなんだろう?と考える
自分もまだいるのです。
振り切った選択肢を取ることで
見えてくる景色もある。
しばらくは、軽く会釈を基本として
気力を回復させようと思います。
相手の反応を気にしない挨拶をする方法
挨拶を無視する人、
ぞんざいに挨拶をする人には
無理に挨拶しなくて良い
そう心に決めてから数日経ちました。
そんな中で気づいたことがあります。
それは…
「疲れる挨拶の仕方をしていた」ということ。
①常にピーンとアンテナを張っていた
②相手の反応を確かめていた
まず①についてです。
家を出る時。そして外出してから家に戻る時。
ご近所ゾーンに入るわけです。
ジョジョ3部で出てくる花京院の
ハイエロファントグリーンの結界は半径20m。
花京院は、この半径20m以内の結界に触れた物が
手にとるようにわかるのです。
私はスタンド使いではありませんが、
”挨拶アンテナ”をピーンと伸ばしており
半径10mぐらいでしょうか。
その距離にご近所の方がいると
「挨拶しなきゃ!」スイッチを発動させていました。
「無理に挨拶をしなきゃ」を辞めてみてからなのですが、
急にこの距離が小さくなりました。
今は半径2mぐらいのイメージ。
しかもかなり感度が落ちた感じがします。
視界がかなり狭くなった感じがしています。
うっすらと人が視界に入っているような気がしても、
不思議なことにボンヤリした感じ。
人を認識しない感じが強くなりました。
いや~、これは神経質かつ疲れていたわけだわ。
そして②についてです。
無意識なのですが、私は挨拶をするのに
次の3段階を踏んでいたことに気づきました。
まるで各駅停車のように。
Step1: 相手もこちらを認識していているか確認
Step2: 認識している気配がしたら挨拶!
明らかに気づいていない場合は
気持ち大きめに挨拶!
Step3: 相手の反応(挨拶してくれた/無視/適当に挨拶etc)を
確認してしまう。
→相手の反応に一喜一憂してしまう。
これだと、相手がどんな反応をするか気になってしまうし、
いちいちホッとしたり、傷ついてしまう。
相手の反応によって、自分の感情も左右されてしまう。
いや~、これは神経質かつ(以下略)。
というわけで、本当は挨拶したくないけれど
どうしてもしないといけない場合の
挨拶の仕方についての提案です。
それは!
【特急電車のように挨拶をすること】
挨拶しないといけない人に出会ったら、
すれ違うタイミングで「コンニチハー」と
言葉を発して、そのまま去っていく。
相手の反応を見ないようにする。
これで行きましょう!
おわりに
色々と書いてみましたが、
将来の夢()は前回の記事と同じ。
相手の反応を気にせずに
挨拶していけたらいいな、と思うのです。
挨拶を無視、ぞんざいに返されても
「あ~、この方はこういう反応を
される方なんだな~。
でも、私は挨拶はしたほうが良いと思うので
しておくか~。」
そんな風にサッパリと。
割り切って考えられるようになりたいのです。
そして、ゆくゆくは義務感からではなく
心が通じるような挨拶を自然にしあえる
仲間をたくさん作っていきたい。
様々な個性。多様な価値観。
変化が激しい時代だからこそ
なにが正しい/正しくないでなく
心地よい人生を選んでいけたら
良いですよね。
noika